
【みなとみらいの街の魅力を再発見】町並みが美しい理由は電柱がないこと!?
「なぜ、みなとみらいの空はこんなに広いのか?」
今回はちょっと真面目にみなとみらいの町並みがなんでこんなに美しいのか、その理由を紹介しようと思います。
みなとみらいは見上げれば、視界を遮る電線が一本もない開放的なブルーの空が広がっています。
その美しさは電柱や電線がないことが大きく関係しているのです。
みなとみらいに電柱がない秘密は、私たちが歩くタイルのわずか数メートル下に隠されています。
横浜・みなとみらい21地区の地下に張り巡らされた巨大なコンクリートの回廊、それが「共同溝(きょうどうこう)」です。
1983年の着工以来、この街が「未来都市」として描いた夢を、電気・ガス・水道、さらには地域冷暖房のパイプに至るまで、ひとまとめに飲み込んで支え続けてきました。
かつて造船所だった荒野を、日本屈指の観光地へと変貌させた「都市の血管」ともいえるこのインフラには、単なる景観維持にとどまらない、驚くべき防災の知恵と歴史が刻まれています。
今回は、普段は決して見ることのできない、みなとみらいの美しさと強さを支える「地下世界の物語」を紐解いてみましょう。
もちろんみなとみらいの町並みが美しい理由はいくつかあると思いますが、その最大の理由は「電柱/電線が存在しないこと」だと思います。
これは有名な話なので知ってる人が多いと思いますが、みなとみらいには電柱が存在しないのです。
「えっじゃあどうやって電気を供給しているの?」と気になる人がいると思います。
このページのポイント
- みなとみらいに住む管理人がみなとみらいの町並みが美しい理由の一つである「電柱がない」ということを解説します
- 電柱がないのにみなとみらいはどうやって電気が通ってるのという疑問もお答えします
みなとみらいには電柱がない!?

みなとみらいを歩いていると「あぁ美しい町並みだなぁ」とよく思います。
その理由を考えていると、普通はあるものがみなとみらいにはないことに気づきます。なんだと思いますか?
そう、みなとみらいにはなんと電柱がないんです。
つまりそれは空を這う無数の電線がないということを意味します。
そのため空が広い。
みなとみらいには本当に青空がよく似合います。
みなとみらいのマンション群。
道には街灯はありますが、電柱は一本もありません。
みなとみらいの街作りが本格的に開始されたのは1980年代ですが、その頃からこの電柱のない美しい町並みは計画されていました。
みなとみらいの町並みは本当に美しいです。
私がみなとみらいに住む理由はやっぱりそこです。
かなり偏見が混じりますが(笑)、私は「東京は人の住むところではない」と思っています。
なんだか東京はいろいろと余裕がありません。
時間も、場所も、そして住む人の心の余裕も。
それに比べてみなとみらいはなんだかたくさんの”余裕”を感じるのです。
もちろん東京でも電線地中化が進み、電柱がないところが増えていますが、町並みに余裕がないように感じます。
電柱がなく、空が広いまち「みなとみらい」。私がみなとみらいを選んだ理由の一つです。
共同溝の仕組み

「電柱がないのにどうやって電気をまかなっているの?」と疑問に思うかもしれませんが、答えは簡単で、地中に埋まっているのです。
電線は水道管やガス管とともに地下の共同溝を通っています。

(画像引用:みなとみらいエリアマネジメント)
この共同溝、実は景観だけではなく、災害に強い町並み作りにも一役買っているのです。
地震などの災害時に電柱が倒壊し、電気が不通になるということが共同溝だと可能性が低くなります。またもちろん電柱の倒壊による二次災害も防げます。
みなとみらいの景観はこうした高水準の安全インフラによって守られているんですね。
さらにみなとみらいではエリア内の全施設で「地域冷暖房システム」が採用されています。
これは各施設で使う冷暖房や給湯を、一カ所の地区プラントで作られた冷水や蒸気でまかなっているシステムです。
みなとみらいでは「みなとみらい二十一熱供給株式会社」センタープラントがその役割を担っています。
センタープラントは日石ビルの裏側にあるんですよ。
Google Map
知ってました?
この地域冷暖房システムはみなとみらい地区のマンションにも適用されているので、みなとみらい地区のマンションにはエアコンが必要ないんですよ。
地域冷暖房システムでは夜間の安い電気で夏は氷を、冬は蒸気を作っているので、電気代が安いし、ピークの少ない最適化されたシステムで環境にも優しいんです。
またクイーンズタワーAの地下には第2プラントがあります。
冬にクイーンズタワーの屋上から蒸気が上がっているのを見たことはありませんか?

この白い煙が蒸気なんですね。
冬にみなとみらいの共同溝に通じる金網の上を通ると熱気を感じることがありますが、それも共同溝を通っている蒸気ですね。
共同溝の仕組みを知ると、みなとみらいの謎がまた一つ明らかになった気がして、とても楽しくなりますよ。
共同溝の歴史:荒野から「未来都市」への挑戦
さて共同溝の歴史を紐解いていきましょう。
始まりは「造船所の移転」と広大な空地。
1980年代前半まで、現在のみなとみらい地区の大部分は三菱重工横浜造船所のドックや工場が広がる工業地帯でした。
この造船所が本牧・金沢地区へ移転することが決まり、横浜市は「都心部の一体化」を目指す巨大プロジェクトに着手します。
当時の計画担当者たちが描いた理想は、「100年先も通用する、災害に強く美しい都市」。
その土台として真っ先に構想されたのが、インフラをすべて地下に飲み込む「共同溝」でした。
1983年、街の産声とともに着工
1983年(昭和58年)11月、みなとみらい21事業の起工式が行われました。
驚くべきは、目に見えるビルが建ち始めるはるか前から、地下では巨大なコンクリートトンネルの建設が始まっていたことです。
■世界に先駆けた「地域冷暖房(DHC)」の導入:
単に電気やガスを通すだけでなく、地区全体を一つのシステムで冷暖房する「地域冷暖房パイプ」も共同溝に組み込まれました。これは当時、世界的にも極めて先進的な試みでした。
■「バラバラに掘らない」ための先行投資:
通常の都市では、電気工事、ガス工事、水道工事のたびに道路を掘り返します。みなとみらいでは、最初に巨大な箱(共同溝)を作ることで、将来のメンテナンスで「一度も道路を掘らなくて済む」設計にしたのです。
1990年代:パシフィコ横浜・ランドマークタワーの誕生を支える
1991年のパシフィコ横浜開業、1993年の横浜ランドマークタワー竣工。華やかな高層ビル群が次々と姿を現す裏側で、共同溝は着々とそのネットワークを広げていきました。
■歩行者優先の思想:
共同溝によって電柱を排除できたことで、クイーン軸・キング軸といった「幅の広い歩行者専用道路」が実現。これが、今私たちが楽しんでいる「開放感あふれるみなとみらい」の景観の正体です。
現代:進化を続ける「都市の生命線」
現在、みなとみらいの地下には総延長約10km以上の共同溝が張り巡らされています。
2011年の東日本大震災の際も、この共同溝に守られたライフラインは深刻な被害を受けず、供給が途絶えなかったことでその強靭さが証明されました。
かつての造船所の跡地=「荒野」に埋められた一本の管が、今や数万人が働き、住み、訪れる巨大都市の命を繋いでいます。
まとめ
こうしてみなとみらいの街が美しい理由を考えてみると、いろいろとみなとみらいの街の謎が解けて楽しいですよね。
足元に眠る「未来への遺産」が、この街の自由をつくっている
私たちがみなとみらいで感じる「空の広さ」や「歩きやすさ」、そして震災時にも揺るがなかった「安心感」。
そのすべては、40年以上前、まだ何もなかった埋立地の地下に巨大な「共同溝」を築いた先人たちの遠大な計画から始まりました。
目に見える華やかな高層ビル群や美しいパークの輝きは、地下数メートルに張り巡らされた「都市の血管」があってこそ維持されているものです。
次にみなとみらいのタイル張りの道を歩くときは、ぜひ足元を意識してみてください。そこには、電気、ガス、水道、そして街全体を冷やす水までもが一手に引き受け、黙々と街を支え続けるコンクリートの巨大回廊が眠っています。
「見えないところこそ、最高の技術を」。そんな横浜のプライドが、今日もこの街の美しい景観と、私たちの当たり前の日常を守り続けているのです。
はてな
共同溝を感じる「隠れスポット」
・歩道のマンホール: よく見ると「共同溝」や「地域冷暖房(DHC)」と書かれた蓋が見つかるかも?
・換気塔のデザイン: 街のあちこちにある、一見オブジェのような構造物。実は地下の熱を逃がすための大切な役割を果たしています。
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